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第2回 日本サッカーリーグで活躍した人々(フリーキック名手・木村和司) [日本サッカーの歴史]

今回は前回に引き続き、Jリーグの前身である日本サッカーリーグで活躍した選手を特集します。

「木村和司」さんを知っておりますでしょうか?

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(出典:
http://blog.goo.ne.jp/fantasista1984/e/5aa195407423e418a4581c47306e9a91)

35歳以上のサッカー好きであれば、必ず知っている名前です。

Jリーグでも活躍しました。

略歴は以下となります。

※生年月日 1958年7月19日(2015年時点で57歳)

1975年:県立広島工業高校で高校選手権ベスト4

1977年:明治大学二部政治経済学部入学、サッカー部に所属。同期にはなでしこJAPAN監督の佐々木則夫

1979年:明治大学2年で日本代表入り、その後代表チームの常連に

1981年:高校の先輩・金田喜稔のいる日産自動車サッカー部(後の横浜F・マリノス)に入部

1983年:ロサンゼルス五輪予選前までは右ウイングとしてプレーしたが、所属クラブと同様に攻撃的MFとなり、その後80年代の日本代表の攻撃の核となった。

1986年:当時のプロサッカー選手登録制度「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」の第1号選手となる。年棒は1200万だったらしいが、プロ扱いとなった途端に低迷が始まる・・・

1980年代後半:成績が低迷し、日本代表チームからも攻撃的MFのポジションを水沼に譲る形で遠ざかってしまう。

1993年:Jリーグ発足に伴って横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)と契約。「ミスター・マリノス」と呼ばれた。1981年からずっと日産に所属していた。
    
1994年:現役引退

その後指導者となり2010年(平成22年)シーズンより横浜FMの監督に就任しますが、大きな成果は残せなかったようです。。


木村和司の代名詞といえば、なんと言ってもフリーキックです。

とりあえずこの動画を見てください!



これが木村和司の伝説のフリーキックです。

この試合は1985年(昭和60年)のワールドカップメキシコ大会最終予選の韓国戦です。40メートル手前からみせたフリーキックは、試合には敗れワールドカップに出場できなかったものの、伝説となりました。

めちゃめちゃ曲がって、落ちてますね!こんなフリーキックは世界的に見てもなかなかありません。

他にもいろいろなフリーキック動画があるものと思って探したのですが、、、、

ありませんでした。意外に。

それ以外のプレー動画だとこんな感じです。1993年のJリーグですね。



木村和司さんも間違いなく日本のサッカーに大きく貢献した1人だと思います。




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