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第3回 1998年初めてのワールドカップ最終予選 [1998年 初ワールドカップ]

第3回目の今回は初めてのワールドカップについて特集します。

1998年に日本代表は始めてのワールドカップに参加することが出来ましたが、それまでの道のりは本当に険しいものでした。

おいおい、その前の1994年ワールドカップの予選(ドーハの悲劇)についても特集したいと思います。この悲劇なくしては日本代表は語れませんので。。。

まずはワールドカップを決めた歓喜の瞬間です。「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれています。




ここで最後のゴールを決めたのが岡野雅行という選手でした。

岡野の愛称は野人でした。めちゃくちゃ足だけが速い印象の選手でした。決定力はなかったです。

30.jpg


この最終予選のメンバーはおおよそ以下のようになっておりました。
(下記はワールドカップ登録メンバーです。予選ではカズや北澤も頑張ってました)

背番号  氏名        ポジ   年齢   チーム
1 小島伸幸 GK 32 ベルマーレ平塚      
2 名良橋晃 DF 26 鹿島アントラーズ   
3 相馬直樹 DF 26 鹿島アントラーズ  
4 井原正巳 DF 30 横浜マリノス  主将 
5 小村徳男 DF 28 横浜マリノス  
6 山口素弘 MF 29 横浜フリューゲルス  
7 伊東輝悦 MF 23 清水エスパルス      
8 中田英寿 MF 21 ベルマーレ平塚  
9 中山雅史 FW 30 ジュビロ磐田  
10 名波浩 MF 25 ジュビロ磐田  
11 小野伸二 MF 18 浦和レッドダイヤモンズ      
12 呂比須ワグナー FW 29 ベルマーレ平塚  
13 服部年宏 MF 24 ジュビロ磐田      
14 岡野雅行 FW 25 浦和レッドダイヤモンズ   
15 森島寛晃 MF 26 セレッソ大阪     
16 斉藤俊秀 DF 25 清水エスパルス      
17 秋田豊 DF 27 鹿島アントラーズ  
18 城彰二 FW 22 横浜マリノス  
19 中西永輔 DF 24 ジェフユナイテッド市原    
20 川口能活 GK 22 横浜マリノス  
21 楢崎正剛 GK 22 横浜フリューゲルス      
22 平野孝 MF 23 名古屋グランパスエイト
監督   岡田武史

懐かしい選手ばかりでいわゆるレジェンド的なメンバーが多く含まれていますね。

個人的には井原、相馬、山口、中田、名波、中山、ロペス、川口が印象的です。

中田英寿はこのときから群を抜いてうまかったです。

次回以降でもう少し各選手について特集したいと思います。

最終予選のゴール集を見ると、あのときの感動がよみがえってきます!




このときのワールドカップ参加アジア枠は3チームで、最終予選はグループA、Bの10チームで争われました。
各グループ1位になれば、ワールドカップ本戦出場決定となり、グループ2位の場合はそれぞれグループの2位同士で決定戦を行います。

日本はグループ2位となってしまい、2位同士の決定戦(イラン戦)の末、本戦出場を勝ち取ったのです。

★グループ予選の結果
第1戦 VS ウズベキスタン (Home)         ○ 6 - 3
第2戦 VS アラブ首長国連邦の旗 UAE (Away) △ 0 - 0
第3戦 VS 韓国 (Home)         ● 1 - 2
第4戦 VS カザフスタン (Away)         △ 1 - 1
第5戦 VS ウズベキスタン (Away)         △ 1 - 1
第6戦 VS アラブ首長国連邦の旗 UAE (Home) △ 1 - 1
第7戦 VS 韓国 (Away)         ○ 2 - 0
第8戦 VS カザフスタン (Home)         ○ 5 - 1

【おおまかな戦歴】
1997年9月7日 ホーム国立競技場で行われた初戦のウズベキスタン戦を三浦知良の4ゴールなどで6-3と大勝

9月19日 気温40度のアブダビで行われたUAE戦を0-0で引き分けた日本

9月28日 このグループ最大のライバルとされた韓国戦
日本は後半22分、山口素弘のループシュートで先制するも、この日初出場だったFW呂比須ワグナーをDF秋田豊と交替させ守りに入ったことが裏目に出て、後半39分と42分にゴールを許し、1-2で逆転負け。3試合を終了して1勝1分1敗の勝点4にとどまる。
同じく3試合を消化した韓国は3連勝で勝点9の1位、2位にUAEが勝点7で続く状態となり、早くも1位通過に危険信号が灯る。

10月4日 アルマトイで行われたカザフスタン戦
コーナーキックから秋田豊のヘディングで先制するも、ロスタイムに同点ゴールを決められて引き分け。
同日、首位の韓国がホームでUAEに3-0で快勝したため、2位UAEとの勝点差こそ2に縮まったものの、首位韓国との勝点差は7に開き、逆転は絶望的となる。
ここで加茂周監督は更迭され、ヘッドコーチの岡田武史が監督に就任した。

10月11日 岡田監督の初戦、タシケントでのウズベキスタン戦
前半30分に先制され、敗戦直前まで追い詰められるが、終了間際にDFも前線に上げるパワープレーを敢行した結果、呂比須ワグナーのヘディングで後半44分ようやく同点とし、なんとか引き分けた。同節、韓国はアウェーでカザフスタンと引き分け、UAEは試合がなかったため、韓国との勝点差こそ7のままながら、UAEとの勝点差は1に縮まり、まさに首の皮一枚繋がった引き分けであった。

10月26日 UAEをホームの国立競技場に迎えた2位争いの直接対決
UAEが10月18日の第7節でカザフスタンに敗れたためUAEと日本の勝点差1のまま、日本が勝てば2位浮上となる試合だった。呂比須が前半4分に先制ゴールを挙げるも、前半37分に追いつかれそのまま引き分けた。この試合の結果、上位3チームがいずれも2試合を残した状態で、同節試合がなく既に勝点16を得ていた韓国と2位UAEとの勝点差が8となり、韓国のグループ1位およびW杯本戦出場が決定し、日本は自力での2位達成が消滅した。危機的状況である。

11月1日 あとがなくなったアウェーでの韓国戦
日本は、既にワールドカップ出場を決め、主力DFの洪明甫を累積警告で欠いた韓国守備陣を試合開始から翻弄し、前半1分に名波浩、前半37分に呂比須がゴールを決め2-0と快勝、勝点を10とする。翌日、UAEがホームで最下位ウズベキスタン相手に引き分けたため、UAEの勝点は9にとどまり、日本は逆にUAEに勝点差1をつけ2位に浮上した。

11月8日 勝てばB組2位が確定する最終戦
アウェーで終了間際引き分けに持ち込まれたカザフスタンをホームに迎えた1戦。秋田のヘディングで先制、代表復帰した中山雅史や高木琢也のゴールなどで5-1で快勝し、第3代表決定戦への出場権を得た。


この動画に良くまとまっています!


いやー見ると本当に当時のあの熱かった時代を思い出します。本当に感動しました。

最後に決めたのは岡野でしたが、その前の中田のドリブルとシュートが凄いと思います。
上記のようなスケジュールで激しく試合をこなし、最後の試合でしかも延長に入っており、限界を超えたくたくたのはずなのに、あのプレーは本当に凄いと思います。このときまだ彼は21歳ですからね。

やっぱり本田より中田のほうが凄いと思います。



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