第1回 日本サッカーリーグで活躍した人々(セルジオ越後、釜本邦茂) [日本サッカーの歴史]
日本サッカーの歴史を紐解くと、大まかには以下のようになっています。
1921年 日本サッカー協会の前身である大日本蹴球協会が創設
天皇杯全日本サッカー選手権大会の前身でもあるア式蹴球全国優勝競技会が開催
1923年 日本で初めての国際Aマッチ
1927年 第8回極東選手権で日本代表はフィリピンを破り、国際大会で初勝利
1936年 日本代表は、ベルリンオリンピックにて、初めてオリンピックのサッカー競技に出場。
ここで日本代表は優勝候補の一つであったサッカースウェーデン代表に勝利した(ベルリンの奇跡)
1954年 FIFAワールドカップ・予選で初めて日本はW杯の予選に参加。
日本は韓国と対戦したが、1分1敗の結果となり本戦出場は成らなかった。
1960年 ローマオリンピックに出場したが予選敗退
1964年 日本代表は東京オリンピックに出場
アルゼンチンを逆転で破るなどで、グループDの争いに勝ち抜き、ベスト8の成績を残した。
1965年 日本サッカーリーグ(JSL)が開幕
Jリーグの前進である日本サッカーリーグの開幕が日本サッカー界にとってまずは大きな一歩だったと言えるでしょう。
日本サッカーリーグでは今も解説などで名前が出てくる人々が活躍しています。
今回はそんな人たちを何人かご紹介したいと思います。
①セルジオ越後 (1945年7月28日生まれ:2015年時点で70歳)
(出典:http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2010/09/16/article119/)
辛口の解説で誰もが知っている有名人ですね。
彼はもともと日系人としてブラジルで産まれ、1964年にコリンチャンスという超名門のクラブチームに入団しています。東京オリンピックにはブラジル代表で出そうだったとか。
1972年に来日し、藤和不動産サッカー部(湘南ベルマーレの前身)に入り、1974年までプレーした後引退しております。
元プロ選手ということで大きな注目を集めたようですが、40試合で6得点と日本サッカーリーグではそれほど活躍できなかったようです。
セルジオ越後はブラジルのロナウジーニョが得意とする「エラシコ」というフェイントを考案したとも言われています。結構すごい人なんです!
この動画で彼のうまさが良く分かります。老人なのに半端ないです!
②釜本邦茂(1944年4月15日生まれ:2015年時点で71歳)
(出典:http://www.kyoto-np.co.jp/kp/sport/sports_alacarte/anohianotoki/soccer/091210.html)
(出典:http://soccerdougasyu.com/894)
最近はあまり出てきませんが、振り返ってみるとこの人、めちゃくちゃ凄かったみたいです。
30代後半ぐらいの人からすると、Jリーグガンバ大阪の監督だったイメージがあると思います。指導者としてはイマイチでした。
【選手としての実績】
日本サッカーリーグで251試合出場、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と傑出した活躍を見せました。また、サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(総通算231試合153得点)を記録し、1968年メキシコ・オリンピックでは、アジア人初の得点王に輝いています。
日本サッカーリーグの通算得点の第2位は85点なので、あまりにも大きな差で断トツの1位なのです。
今プレーしていたら確実に海外に行って活躍できたしょうね・・・
【プレー動画】
これは凄いです。めちゃくちゃ決定力がありますね~
今回はここまでです。
随時更新していきます。
次回は木村和司や永井良和など、もう少し昔の人たちを追ってみます。
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1921年 日本サッカー協会の前身である大日本蹴球協会が創設
天皇杯全日本サッカー選手権大会の前身でもあるア式蹴球全国優勝競技会が開催
1923年 日本で初めての国際Aマッチ
1927年 第8回極東選手権で日本代表はフィリピンを破り、国際大会で初勝利
1936年 日本代表は、ベルリンオリンピックにて、初めてオリンピックのサッカー競技に出場。
ここで日本代表は優勝候補の一つであったサッカースウェーデン代表に勝利した(ベルリンの奇跡)
1954年 FIFAワールドカップ・予選で初めて日本はW杯の予選に参加。
日本は韓国と対戦したが、1分1敗の結果となり本戦出場は成らなかった。
1960年 ローマオリンピックに出場したが予選敗退
1964年 日本代表は東京オリンピックに出場
アルゼンチンを逆転で破るなどで、グループDの争いに勝ち抜き、ベスト8の成績を残した。
1965年 日本サッカーリーグ(JSL)が開幕
Jリーグの前進である日本サッカーリーグの開幕が日本サッカー界にとってまずは大きな一歩だったと言えるでしょう。
日本サッカーリーグでは今も解説などで名前が出てくる人々が活躍しています。
今回はそんな人たちを何人かご紹介したいと思います。
①セルジオ越後 (1945年7月28日生まれ:2015年時点で70歳)
(出典:http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2010/09/16/article119/)
辛口の解説で誰もが知っている有名人ですね。
彼はもともと日系人としてブラジルで産まれ、1964年にコリンチャンスという超名門のクラブチームに入団しています。東京オリンピックにはブラジル代表で出そうだったとか。
1972年に来日し、藤和不動産サッカー部(湘南ベルマーレの前身)に入り、1974年までプレーした後引退しております。
元プロ選手ということで大きな注目を集めたようですが、40試合で6得点と日本サッカーリーグではそれほど活躍できなかったようです。
セルジオ越後はブラジルのロナウジーニョが得意とする「エラシコ」というフェイントを考案したとも言われています。結構すごい人なんです!
この動画で彼のうまさが良く分かります。老人なのに半端ないです!
②釜本邦茂(1944年4月15日生まれ:2015年時点で71歳)
(出典:http://www.kyoto-np.co.jp/kp/sport/sports_alacarte/anohianotoki/soccer/091210.html)
(出典:http://soccerdougasyu.com/894)
最近はあまり出てきませんが、振り返ってみるとこの人、めちゃくちゃ凄かったみたいです。
30代後半ぐらいの人からすると、Jリーグガンバ大阪の監督だったイメージがあると思います。指導者としてはイマイチでした。
【選手としての実績】
日本サッカーリーグで251試合出場、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と傑出した活躍を見せました。また、サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(総通算231試合153得点)を記録し、1968年メキシコ・オリンピックでは、アジア人初の得点王に輝いています。
日本サッカーリーグの通算得点の第2位は85点なので、あまりにも大きな差で断トツの1位なのです。
今プレーしていたら確実に海外に行って活躍できたしょうね・・・
【プレー動画】
これは凄いです。めちゃくちゃ決定力がありますね~
今回はここまでです。
随時更新していきます。
次回は木村和司や永井良和など、もう少し昔の人たちを追ってみます。
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